ジャニーズタレント徹底論考

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2014/06/30 18:39:30 | 起死回生期
田原俊彦が1983年5月18日、田原俊彦が『さらば・・・夏』をリリース。この曲はこの年の「第14回日本歌謡大賞」の大賞に輝いた。日本歌謡大賞は今はない表彰だが、かつては日本レコード大賞とともに二大大賞といわれた。日本レコード大賞がTBS主催だったのに比べて、日本歌謡大賞はそれ以外の民放各局が毎年幹事を務める催しで、本来はむしろ日本レコード大賞以上の権威を評価されてもいいものだった。受賞だけで歌手のポジションははかれないが、田原俊彦がこの頃、ピークであったことを示す実績であることは確かである。
2014/06/28 19:29:28 | 起死回生期
THE GOOD-BYEといえば、野村義男の率いたジャニーズ事務所のバンドグループである。たのきんトリオの中で、一人だけレコードデビューをしていなかった野村義男が1983年9月1日、THE GOOD-BYE(ザ・グッバイ)として『気まぐれ One Way Boy』でシングルデビューした。メンバーは野村義男のほか、曾我泰久、加賀八郎、衛藤浩一らである。曾我泰久は、過去リトルリーブス、リトル・ギャング、ギャングス、ジャPAニーズ(サポート参加)、ピラミッド、ANKH、相田勝美&ハイクエッチョンズなどのグループに所属した。ある意味、ジャニーズ事務所のグループ再編の便利屋的な役割となったが、その都度声...
2014/06/25 16:52:25 | 起死回生期
イーグルスというグループがいたことを覚えているだろうか。ジャニーズ事務所のグループである。1983年3月25日、内海光司、中村成幸(現・中村繁之)、宇治正高、大沢樹生、石川博文の5名によるイーグルスが、ロサンゼルスオリンピックの宣伝アニメであった『イーグルサム』の主題歌『走れ!ゴーインBOY』でレコードデビューした。石川博文以外のメンバーは、幼年隊やジャニーズ少年隊ジュニア、少年隊ジュニアといったグループ名を名乗り、『レッツGOアイドル』(通称・レッツアイ、テレビ東京)で少年隊のバックダンサーとして活動していた。そこに石川博文が合流してイーグルスになった。
2014/06/23 14:48:23 | 起死回生期
シブがき隊が1982年5月5日、『NAI・NAI16(シックスティーン)』をリリースした。以後、シングル28枚、アルバム13枚など、80年代の歌謡界をリードするヒット曲を連発した。すでに書いたように、グループ自体は1981年4月17日、さとう宗幸主演の『2年B組仙八先生』に、布川敏和、本木雅弘、薬丸裕英、叶屋博基の4人が出演したことから始まっている。そこから叶屋博基が抜け、3人が公募名の「シブがきトリオ」からシブがき隊としてスタートした。
2014/06/22 13:19:22 | 起死回生期
少年隊というグループを覚えているだろうか。という書き方をしたら失礼になるか。ジャニーズ事務所のデビュー組最年長タレントである。その後にデビューしたグループが解散して世代的に間が開いてしまったため、最年長はSMAPという認識の方がほとんどではないだろうか。しかし、少年隊は正式に解散宣言はしていない……はずだ。したがって、ジャニーズ事務所最年長のグループは紛れも無く少年隊なのである。もともと「少年隊」という名称自体は、ジャニーズJr.の総称だった。1981年10月6日から始まった『ザ・ヤングベストテン』(テレビ東京系)において、錦織一清、植草克秀、松原康行の3名で結成されたグループ「Bチーム」が、...
2014/06/15 15:01:15 | 起死回生期
シブがき隊といえば『2年B組仙八先生』だろう。1981年4月17日、さとう宗幸主演の『2年B組仙八先生』が放送開始された。ジャニーズ事務所からは布川敏和、本木雅弘、薬丸裕英、叶屋博基の4人が出演。彼らによってグループが結成されたが、そのうち叶屋博基が抜け、3人がシブがき隊として以後7年間、歌やドラマに活躍する。このTBSの「先生」シリーズは、タイトルと俳優を代えてその後何作も続くが、ジャニーズタレントにとっては登竜門的番組となる。たのきんトリオによって、ドラマで名前を売り、デビューにつなげるという“ビジネスモデル”を作り上げたが、さっそくそれを継承したのがシブがき隊だった。グループ名は名前の由...
2014/06/14 13:55:14 | 起死回生期
近藤真彦といえば、田原俊彦、野村義男とともにたのきんトリオの一人。田原俊彦に1年遅れてレコードデビューを果たした。1年ずらしたということは、2人が新人賞争いで競合しないようにするためである。それはそうと、近藤真彦はデビュー前にトンデモないエピソードがある。1980年7月17日放送の『ばらえていテレビファソラシド』で、美空ひばりを知らない近藤真彦は美空ひばりの歌をリハーサルで聴き、「おばさん、歌うまいね」と発言。周囲のスタッフを凍りつかせたのだ。もっとも、美空ひばりは「お嬢」と呼ばれていたが本来気さくな一面があり、ここでも大人の対応。「私、今まで面と向かって他人から上手いって言われたことがなかっ...
2014/06/13 14:19:13 | 起死回生期
田原俊彦は、すでに書いたように『3年B組金八先生』でデビュー。たのきんトリオとして売りだされたが、たのきんトリオというのはグループではなく、あくまでも同じ事務所のタレントをくくった通称にすぎない。田原俊彦は1980年6月21日、たのきんトリオの先陣を切り、レイフ・ギャレットの『ニューヨークシティナイト』のカバー『哀愁でいと』で歌手デビューした。オリジナルのデビューは同年9月21日リリースの『ハッとして!Good』である。1994年3月いっぱいで独立しているが、その間、シングル46枚、オリジナル・アルバム26枚をリリースしている。
2014/06/12 13:40:12 | 起死回生期
たのきんトリオ、ある年代以上なら言わずと知れた、田原俊彦、野村義男、近藤真彦をそう呼んだ。ドラマ『3年B組金八先生』(TBS、1979年)に出演したジャニーズタレントである。もともと3人はグループデビューしたわけでもないが、例によって名前の一部をとって命名するあたりは、ジャニーズのグループ命名のひとつのパターンである。同作によって名前が知られたたのきんトリオは、引き続きドラマに出演した。今度は自分たちが主役だった。1980年5月26日、生徒たちの放課後にスポットをあてた学園ドラマ『ただいま放課後』(フジテレビ系)である。