ジャニーズタレント徹底論考

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大映青春スターのレコードデビュー

内田喜郎をご存知だろうか。『奥さまはlS歳』(TBS)などに出演していた青春スターである。その内田喜郎が、なんとジャニーズ事務所からレコードデビューをしていたのだ。大映の倒産後、ジャニーズ事務所所属として『ミスター・ロビンソン』(日本ビクター)で歌手デビュー。

その後、内田喜郎は事務所もレコード会社も移籍したが、歌手活動は続けている。正確に言えば「所属していた時期があった」というだけだが、それでも、ジャニーズタレントとしてデビューしたことは紛れもない事実である。
ミスター・ロビンソン

そういわれてみれば、『ミスター・ロビンソン』のレコードジャケット。長髪で白い衣装を着た、いわゆる「中性的なアイドル」像を狙っている内田喜郎がうつっている。

内田喜郎は1953年生まれ。劇団ひまわりから大映入りしているが、どちらかというと映画俳優というよりも、大映テレビ室、および大映テレビが制作したテレビ映画(フイルムドラマ)の出演が印象深い。

岡崎友紀主演の『おくさまは18歳』(1970年)『ママはライバル』(1972年)『ラブラブライバル』(1973年)、奈良富士子主演の『美人はいかが?』(1971年)などである。

そのさなか、どういう経緯かわからないがジャニーズ事務所入り。さらにそこを離れた内田喜郎は、現在シャンソン歌手という。

ジャニー喜多川は、もともと自分のセンスで在野の有望な人材をスカウトして育てるタイプである。引き抜かれることはあっても、どこかの既成のタレントを引き抜いて、ということはしない。

すでに出来上がった、ねしくは色がつきかけているタレントではなく、真っ白な素材を自分の世界を具現できるタレントに育て上げたいのだろう。

しかし、フォーリーブスの江木俊夫やおりも政夫のように、劇団の子役として仕事をしていた既成のタレントもこの頃は所属させていた。

現在のように実績がないので人材が集まらなかったのかもしれないし、ジャニー喜多川自身の育成力もまだこのときは未完成だったのかもしれない。

タレントのデビューのさせ方についても、このあと出てくるが、ソロ歌手を何人かデビューさせてうまくいかなかったし、なんと女性をデビューさせたこともある。

成功すると、成功したところだけにスポットが当たるが、ジャニー喜多川もこの頃はまた試行錯誤の時期だったといえるのかもしれない

別の見方をすれば、ジャニー喜多川も天分でやってきたわけではなく、人間としてありふれた「トライ・アンド・エラー」があって、たのきんトリオや光GENJIや、SMAPや嵐があるということだ。

その意味で内田喜郎のジャニーズ事務所デビューは、なかなか興味深いエピソードといえるだろう。
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  • 作者: 小菅 宏
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  • 発売日: 2012/06/09
  • メディア: 新書
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