ジャニーズタレント徹底論考

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歌って踊るタレント像を求めた

ジャニーズが正式に結成された日は1962年4月1日である。真家ひろみ(真家弘敏)、飯野おさみ(飯野修賓)、中谷良(中谷良三)、青井輝彦(1967年から「あおい輝彦」に改名)の4名によって、日本で最初に形成された、歌って踊れるアイドルグループのジャニーズが結成された。
ジャニーズは『ウエストサイドストーリー』から誕生したと「ジャニーズ事務所のはじまり」で書いたとおり、彼らは歌って踊るタレント像を求めた。彼らはジャズ喫茶で外国曲などをレパートリーとして活動を始めた。

アイドルグループが踊りをメインにして歌い、ショービジネスをこなすことは、ほとんど誰も気がつかない分野でもあった。

こうして少年アイドルグループというジャニーズのジャンルが確立され、このジャンルはジャニーズの独壇場となって、テレビ界を席巻するようになった。

小菅宏の『「ジャニー喜多川」の戦略と戦術』(講談社)によると、ジャニー喜多川はのちに彼らをこう評していたという。

「飯野クンは凡帳面で真面目。性格は地味だけどダンスに熱心に取り組む努力家でした。それに兄貴的な性格で頼りがいがあってグループのリーダー格」

「真家クンは思いやりがあって優しかったです。少し独り善がりの面はあったが、デビュー当時はスリーファンキーズ(昭和30年代に人気が高かった男性3人祖)の長沢純クンに顔付きが似ていて、すぐに凄い人気が出ました」

「あおいクンは良家の子息という感じでしたが、要は体が丈夫ではありませんでした。でも体力がつくとルックスも最高で、先天的な素質があったせいか歌も踊りも上達し、なによりフレッシュな印象が強かったです」

「良ちゃんはどこにでもいる親近感を覚えさせる雰囲気があって、ファンの人気を独占していました。運動神経がよく、そのせいか踊りの上達も早かったです」

「リーダー格」という表現はあるが、いずれも個性がわかれ人気は互角ということである。

のちに亀梨和也と赤西仁を「ツートップ」とするKAT-TUNが登場したが、ジャニーズ事務所のタレントは原則として、異なるタイプのタレント4~6名によって構成される「全員スター制」が基本になっている。

「○○でもっているグループ」という構成をしないことは、グループ内の軋轢を抑えて長続きさせるとともに、「○○担当」という個別タレントを応援するオリキをふやすための秘訣でもあるのだ。

アイドル帝国ジャニーズ 50年の光芒 (宝島社新書)

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  • 作者: 小菅 宏
  • 出版社/メーカー: 宝島社
  • 発売日: 2012/06/09
  • メディア: 新書
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