ジャニーズタレント徹底論考

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『哀愁でいと』で歌手デビュー

田原俊彦は、すでに書いたように『3年B組金八先生』でデビュー。たのきんトリオとして売りだされたが、たのきんトリオというのはグループではなく、あくまでも同じ事務所のタレントをくくった通称にすぎない。

田原俊彦は1980年6月21日、たのきんトリオの先陣を切り、レイフ・ギャレットの『ニューヨークシティナイト』のカバー『哀愁でいと』で歌手デビューした。

哀愁でいと

オリジナルのデビューは同年9月21日リリースの『ハッとして!Good』である。

ハッとして!Good

1994年3月いっぱいで独立しているが、その間、シングル46枚、オリジナル・アルバム26枚をリリースしている。

「レコード大賞」「日本歌謡大賞」で新人賞をダブル受賞

1980年12月31日、「第22回日本レコード大賞」で田原俊彦の『ハッとして!Good』が最優秀新人賞を受賞した。

同事務所の新人賞は郷ひろみ以来だが、郷は「最優秀」を逃しており(受賞者は麻丘めぐみ)、「最優秀」は同事務所属タレントとして初となる。田原俊彦は同じ曲で「第11回日本歌謡大賞」の放送音楽新人賞も受賞した。

「第31回NHK紅白歌合戦」に初出場

1980年12月31日、「第31回NHK紅白歌合戦」に田原俊彦が初めて出場した。曲は『哀愁でいと~NEW YORK CITY NIGHTS~』である。後ろの横文字は、レイフ・ギャレット(Leif Garrett)のアルバム『プリンスの週末(Feel The Need)』(1978年)に収録された曲名である。

ジャニーズ事務所としては4年ぶりの「紅白」出場となった。

今でこそ、ジャニーズ事務所の「紅白」の枠は、4つだ、5つだといわれ、あまり知名度の高くない若手グループも選ばれているが、当時のジャニーズ事務所は、郷ひろみが脱退し、フォーリーブスが解散してしばらくの間は、ソロデビューを連発したり、女性を加えたグループデビューを試みたりしたのだが、どれも大当たりにはつながらずに苦労していた。

たのきんトリオが、ジャニーズ事務所にとっての起死回生になったわけだ。

以来、ジャニーズ事務所は、グループデビューを原則とする。期待された中山優馬も、そのためにHeySayJUMPから2人兼任でグループデビューさせた。

生田斗真や風間俊介などは異色だが、そもそも彼らはジュニア時代に俳優としての仕事が定着してきた「なし崩しデビュー」のようなところがあり、やはり現在もジャニーズ事務所の原則はグループデビューなのである。
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