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ジャニーズの良いことも悪いことも知りたい!ジャニーズ目抜き通りは、マスコミにはなかなか出てこなかったり、出てきても断片的ないジャニーズ情報をまとめています。誰でも何でも、ジャニーズのことならすぐにわかるように、日々情報を追加更新し、 新しい視点や情報の確保に努めてまいります。 どうぞよろしくお願いいたします。 ジャニーズ目抜き通りのスペシャルコンテンツ 【ジャニーズの歴史はここから始まった!】 「ジャニー喜多川はワシントンハイツの中のアパートに住んでいて、チョコレートは山ほどあったから、彼だけでなく、彼の同級生である青井輝彦少年や、飯野修實少年たちを喜ばせた。少年たちは、ジャニー喜多川が少年野球のコーチをしていることを知る。ジャニー喜多川は1950年頃から、現在の代々木公園近くにあったワシントンハイツの公園で休日に野球をする少年たちと親善試合を行うなどして、少年たちの間では影響力のある青年であった。球団名はジャニーズ球団であった。 ジャニー喜多川には当時、東京・四谷でカウンターバー「スポット」を営む姉・喜多川泰子(メリー喜多川)がいた。店は駐留軍からの最新のアメリカの音楽やグッズ、そして、雑誌、チョコレートなど、あらゆるものが店の中に並べられ、アメリカ軍のグッズがある店として有名だった。 真家弘敏少年はやはり11歳のとき、大型のアメリカ車に乗るジャニー喜多川にスポットへ連れて行ってもらった。同店のカウンターの中にいるメリー喜多川から、当時としてはめずらしいスパゲッティ・ミートソースを食べさせてもらったと自著で述懐している。(『ハイ!どうぞ ジャニーズ・タクシー奮闘記』マガジンハウス) 野球のコーチをする親切な青年、ジャニー喜多川は、彼ら4人の少年たちと芸能活動を行うことになる。」(以上、『ジャニーズの歴史 完全保存版』(鹿砦社)より) |