ジャニーズタレント徹底論考

更なる飛翔が見えてくる!!

ジャニーズ事務所について、昨今の「斜陽化」がいわれるひとつの要因に、他の事務所からもイケメンタレントが次々登場していることがある。他事務所の若い俳優、韓国のタレント、スポーツ選手とライバルは次々登場している。

昨今、持ち番組の数字が伸びない上に、既得権が浸食されつつあるとなれば、これはヤバイぞ、というわけだ。

しかし、何もタレントの売り方は「イケメン」だけではない。新機軸タレントの発掘や育成と共に、既存のタレントの個性を光らせ、従来のファンに加えて新しいファンを獲得できれば、ヨソのタレントがどうだろうがそんなことは全く関係ない。

そもそもジャニーズタレントは様々な個性が揃っており、事務所にはこれまでの育成ノウハウもある。それに今のニーズを加えてやるべきことをやれば自ずと道は開けるはずだ。

近年は“厳冬”といわれるが、今年も新卒見込みの就職活動が始まる。その際、企業側が言うことはだいたい決まっている。「人材は宝。我が社は人が第一です」。

その「人」の評価には、能力、意欲、学歴、人脈など様々な視点があるのだが、いずれにしてもそこは人間社会だ。それらに優れていようがいまいが、いつの時代であろうが、普遍的に価値を与えられている大前提がある。

それはズバリ、人柄である。

業界も会社も人間集団で成り立っている以上、信頼される人、愛される人は、どんな職場であれ仲間を作りやすいし、結局は出世もしやすいのだ。学校の教科書にも就職セミナーでも直接教わることではないが、これは一般の社会人だけでなく芸能界でもあてはまるものである。

いささか前置きが長くなったが、芸能界で長きにわたって活躍しているジャニーズタレント。昨今の主だった芸能ニュースの中から、ジャニーズタレント達のどこにどんな魅力があるのか、その仕事ととともに人間性なども観察しながらスポットをあてていきたい。
田原俊彦が1983年5月18日、田原俊彦が『さらば・・・夏』をリリース。この曲はこの年の「第14回日本歌謡大賞」の大賞に輝いた。

さらば・・・夏

日本歌謡大賞は今はない表彰だが、かつては日本レコード大賞とともに二大大賞といわれた。

日本レコード大賞がTBS主催だったのに比べて、日本歌謡大賞はそれ以外の民放各局が毎年幹事を務める催しで、本来はむしろ日本レコード大賞以上の権威を評価されてもいいものだった。

受賞だけで歌手のポジションははかれないが、田原俊彦がこの頃、ピークであったことを示す実績であることは確かである。
続きを読む≫ 2014/06/30 18:39:30 起死回生期
THE GOOD-BYEといえば、野村義男の率いたジャニーズ事務所のバンドグループである。たのきんトリオの中で、一人だけレコードデビューをしていなかった野村義男が1983年9月1日、THE GOOD-BYE(ザ・グッバイ)として『気まぐれ One Way Boy』でシングルデビューした。

気まぐれ One Way Boy

メンバーは野村義男のほか、曾我泰久、加賀八郎、衛藤浩一らである。曾我泰久は、過去リトルリーブス、リトル・ギャング、ギャングス、ジャPAニーズ(サポート参加)、ピラミッド、ANKH、相田勝美&ハイクエッチョンズなどのグループに所属した。

ある意味、ジャニーズ事務所のグループ再編の便利屋的な役割となったが、その都度声がかかるということはそれだけ必要されていたということだろう。

ま、飽くまでも善意に考えてということだが。
続きを読む≫ 2014/06/28 19:29:28 起死回生期
イーグルスというグループがいたことを覚えているだろうか。ジャニーズ事務所のグループである。1983年3月25日、内海光司、中村成幸(現・中村繁之)、宇治正高、大沢樹生、石川博文の5名によるイーグルスが、ロサンゼルスオリンピックの宣伝アニメであった『イーグルサム』の主題歌『走れ!ゴーインBOY』でレコードデビューした。

走れ!ゴーインBOY

石川博文以外のメンバーは、幼年隊やジャニーズ少年隊ジュニア、少年隊ジュニアといったグループ名を名乗り、『レッツGOアイドル』(通称・レッツアイ、テレビ東京)で少年隊のバックダンサーとして活動していた。

そこに石川博文が合流してイーグルスになった。
続きを読む≫ 2014/06/25 16:52:25 起死回生期
シブがき隊が1982年5月5日、『NAI・NAI16(シックスティーン)』をリリースした。以後、シングル28枚、アルバム13枚など、80年代の歌謡界をリードするヒット曲を連発した。

NAI・NAI16(シックスティーン)

すでに書いたように、グループ自体は1981年4月17日、さとう宗幸主演の『2年B組仙八先生』に、布川敏和、本木雅弘、薬丸裕英、叶屋博基の4人が出演したことから始まっている。そこから叶屋博基が抜け、3人が公募名の「シブがきトリオ」からシブがき隊としてスタートした。
続きを読む≫ 2014/06/23 14:48:23 起死回生期
少年隊というグループを覚えているだろうか。という書き方をしたら失礼になるか。ジャニーズ事務所のデビュー組最年長タレントである。その後にデビューしたグループが解散して世代的に間が開いてしまったため、最年長はSMAPという認識の方がほとんどではないだろうか。しかし、少年隊は正式に解散宣言はしていない……はずだ。したがって、ジャニーズ事務所最年長のグループは紛れも無く少年隊なのである。

もともと「少年隊」という名称自体は、ジャニーズJr.の総称だった。1981年10月6日から始まった『ザ・ヤングベストテン』(テレビ東京系)において、錦織一清、植草克秀、松原康行の3名で結成されたグループ「Bチーム」が、後に「ジャニーズ少年隊」となり、少年隊と名乗るようになった。

リーダーは錦織一清だった。
続きを読む≫ 2014/06/22 13:19:22 起死回生期
シブがき隊といえば『2年B組仙八先生』だろう。1981年4月17日、さとう宗幸主演の『2年B組仙八先生』が放送開始された。ジャニーズ事務所からは布川敏和、本木雅弘、薬丸裕英、叶屋博基の4人が出演。彼らによってグループが結成されたが、そのうち叶屋博基が抜け、3人がシブがき隊として以後7年間、歌やドラマに活躍する。

シブがき隊

このTBSの「先生」シリーズは、タイトルと俳優を代えてその後何作も続くが、ジャニーズタレントにとっては登竜門的番組となる。

たのきんトリオによって、ドラマで名前を売り、デビューにつなげるという“ビジネスモデル”を作り上げたが、さっそくそれを継承したのがシブがき隊だった。

グループ名は名前の由来は、雑誌『セブンティーン』の一般公募によって「シブい“ガキ”」を意味する「シプがきトリオ」だったが、「シブがき隊」に改められた。
続きを読む≫ 2014/06/15 15:01:15 起死回生期
近藤真彦といえば、田原俊彦、野村義男とともにたのきんトリオの一人。田原俊彦に1年遅れてレコードデビューを果たした。1年ずらしたということは、2人が新人賞争いで競合しないようにするためである。

それはそうと、近藤真彦はデビュー前にトンデモないエピソードがある。

1980年7月17日放送の『ばらえていテレビファソラシド』で、美空ひばりを知らない近藤真彦は美空ひばりの歌をリハーサルで聴き、「おばさん、歌うまいね」と発言。周囲のスタッフを凍りつかせたのだ。

もっとも、美空ひばりは「お嬢」と呼ばれていたが本来気さくな一面があり、ここでも大人の対応。「私、今まで面と向かって他人から上手いって言われたことがなかったの」と笑顔で答えたという。

けだし、美空ひばりは本当のスターなのである。
続きを読む≫ 2014/06/14 13:55:14 起死回生期
田原俊彦は、すでに書いたように『3年B組金八先生』でデビュー。たのきんトリオとして売りだされたが、たのきんトリオというのはグループではなく、あくまでも同じ事務所のタレントをくくった通称にすぎない。

田原俊彦は1980年6月21日、たのきんトリオの先陣を切り、レイフ・ギャレットの『ニューヨークシティナイト』のカバー『哀愁でいと』で歌手デビューした。

哀愁でいと

オリジナルのデビューは同年9月21日リリースの『ハッとして!Good』である。

ハッとして!Good

1994年3月いっぱいで独立しているが、その間、シングル46枚、オリジナル・アルバム26枚をリリースしている。
続きを読む≫ 2014/06/13 14:19:13 起死回生期
たのきんトリオ、ある年代以上なら言わずと知れた、田原俊彦、野村義男、近藤真彦をそう呼んだ。ドラマ『3年B組金八先生』(TBS、1979年)に出演したジャニーズタレントである。もともと3人はグループデビューしたわけでもないが、例によって名前の一部をとって命名するあたりは、ジャニーズのグループ命名のひとつのパターンである。

同作によって名前が知られたたのきんトリオは、引き続きドラマに出演した。今度は自分たちが主役だった。

1980年5月26日、生徒たちの放課後にスポットをあてた学園ドラマ『ただいま放課後』(フジテレビ系)である。
続きを読む≫ 2014/06/12 13:40:12 起死回生期
VIP、といっても「偉い人」や「改造車」という意味ではない。ジャニーズ事務所所属では異例の、女性を含んだ5人グループである。男性アイドル専門のようにみられる同事務所だが、郷ひろみが脱退して以来大きなヒットに恵まれず、女性を本格的に売り出したのだ。1979年のことだった。メンバー構成は、JJSの板野俊雄、林正明、畠山昌久に河村信子と吉本和子を加え、『南十字星』(キングレコード)でデビューした。

しかし、その後は『エースをねらえ!』の主題歌の『青春にかけろ!』など、2枚のシングルと3枚のアルバムをリリースしたが、10カ月後に林正明・畠山昌久・吉本和子が脱退。1980年のアルバムリリースを最後に自然消滅した。

VIP、ジャニーズ事務所唯一の女性を含んだグループ

その頃の我が国の音楽シーンは、内外のロックスターが台頭していた時代。この時期は男性アイドルが育たず、ジャニーズ事務所にとっても試行錯誤を続ける氷河期といわれる。

VIPやメリー喜多川の娘の藤島ジュリー景子など、女性タレントのデビューなどはまさにそうした感があるが、一方ではたのきんトリオがデビューして、次の黄金時代の萌芽ともいえるものもみえている。

朝の来ない夜はない、ということか。
続きを読む≫ 2014/06/11 16:27:11 試練期